里帰り出産期間中のお食い初め。両家がタッグして賑やかにお祝い♡
出産後長い療養期間を経て広島の家に戻る前に義理の家でお食い初めをしました。両家の母親がタッグを組んだお食い初めは、桃の節句の時期と重なりWのお祝いとなり、とてもハートフルで賑やかなイベントに。今回はそのときの様子を綴ります。
お食い初めは里帰り出産期間中に…そのワケは
私が娘を出産したのは2013年秋のこと。当時から私は原因不明の持病を抱えていました。子どもは逆子だったため帝王切開での出産。術後の諸々の痛みや、持病による体調不良にプラスして初めての育児…私の体は早々に悲鳴を上げていました。
このような状況だったため私の両親に加えて夫の両親からもゆっくりと静養したほうがいい、と言ってもらい、長い間実家のお世話になっていたのです。実の母親のサポートもあり、生まれた娘は100日を迎えるまでトラブルもなく元気に育ってくれました。そろそろ自分の体調も整ってきて、広島に戻る準備を始めたとき、「娘と私のケアをしてくれた両親と義理の両親にお礼の意味も込めてお食い初めのお祝いをしよう」と思い立ちました。さっそく母に提案したところ「それはいいね!」の返事。そこからは母が主導して義母へ連絡をしてくれ、義理の実家でお食い初めをすることが決まったのです。
お食い初め準備に実母張り切る!
お食い初めの提案は私からでしたが、実際に動いてくれたのは私の母でした。義理の家に連絡して日にちを決めた直後に魚屋さんに連絡をして鯛とお吸い物に入れるハマグリを予約。当日はお煮しめ、酢の物を作って、鯛以外は母親手作りのお食い初めお膳ができあがりました。母は「あ~忙しい」と言いながらも満面の笑みで張り切って準備を進めてくれました。
歯固め石は、地元では学問の神様として知られる神社で社務所にご挨拶をしてひとついただくことに。まだ生まれて100日しか経っていないのに、学問の神様のご利益を期待するあたりが“親ばか”、”ババばか“ですよね(笑)こうして、お食い初めの準備が無事に整ったのです。
義母はお祝い膳とスイーツ担当!
娘のお食い初めに、母と同じく張り切っていたのが義母です。夫の家族は義父の仕事の関係でアメリカで数年間生活していました。その間、義母は積極的に現地でネイティブの友人を作り料理やお菓子作りを教えてもらっていたそうです。
お食い初め当日は、義母が得意な太巻きと、アメリカ人直伝のスポンジから焼いたお祝いケーキを用意してくれました。ピンク色をベースにデコレーションされたケーキは、女の子のお祝いらしくとても素敵。ケーキを食べるころには娘は夢の中だったので、写真に収めてあとは私たちでおいしくいただきました。
実父・義父も参加して賑やかなお食い初め
お食い初め当日は、私の父も義父も共に参加。テーブルの上は、私の母が準備した娘用のお食い初め膳と、義母が用意してくれたお祝いの食事、そしてスイーツが並びとても華やかです。
お食い初めでは義父が娘に食べさせる係をしてもらいました。お食い初め最中の娘は終始キョトン顔でしたが、おじいちゃんにしっかり抱っこしてもらって泣くこともなく終えることができました。
私の父は当時あまり体調がよくなかったので参加できるかどうか難しかったのですが、一緒に来てお祝いができたので、私自身とても嬉しかったことを覚えています。
番外編:実は桃の節句も一緒にお祝い
お食い初め当日、義母の実家に預けておいたお雛様を飾って桃の節句もお祝いしました。私の母が娘誕生のお祝いにと買ってくれたのですが、広島の家はお雛様を置く場所がないほど狭いため、泣く泣く義理の実家に預けていたのです。
お食い初めと一緒に雛祭りもお祝いできて、ジイジたち、バアバたちはずっと目尻が下がりっぱなし。義母のお祝い膳はとてもおいしく、また、お食い初め用に作ってくれた母のお煮しめや酢の物も昔を思い出す懐かしい味で、私自身も幸せを感じた一日となりました。
残念ながらこの場に夫はいなかったのですが、写真をたくさん撮影してアルバムを作成。広島に戻った際にお土産として渡しました。
娘が小学校に上がる前までには、義理の家に預けているお雛様を広島の自宅に迎えようと思っています。
みんなの笑顔が見られた幸せいっぱいなお食い初めの日♡
終わってみれば、実の母と義理の母に甘えっぱなしのお食い初めとなりましたが、準備段階から当日まで、常に笑顔の花が咲いていて当日も大成功!両家の親にはとても感謝しています。結婚直後の転勤で、義理の家と実家、として私たち夫婦の交流があまりできていないことを心配していましたが、このお食い初めが私たちをつなぐよいきっかけに。実家も義理の家も遠方というママさんは、帰省のときなどに子どものイベントを通して交流するのもおすすめですよ。
担当ライター