尾てい骨に頭が引っ掛かる?予期せぬ出産時のトラブル
幸いにも大したトラブルもなく、いざ出産を迎えた私。お産も看護師さんが太鼓判を押すほどスムーズに進んでいました。しかし、最後の最後、いよいよ赤ちゃんとご対面…というときに、予期せぬトラブルが待っていたのです。果たしてそのトラブルとは…?
絵にかいたような安産!
4月6日の朝に破水。里帰り出産を選択していた私は慌てて母を起こして、出産予定の総合病院へと向かいました。
産婦人科に向かうと、看護師さんが
「今日はお産が3つも重なってて、普通の分娩室が空いていないから、特別室でのお産になります」とひとこと。
トイレ、洗面台、テレビが完備された豪華な仕様の部屋で出産できるなんて、ラッキーすぎる!と、まだ余裕があった私は、心を弾ませながら特別室のベッドに横になりました。
横になって間もなく、お腹と腰のあたりに鈍痛を感じるように。一定の間隔で襲ってくる鈍痛に、「これが陣痛か…!」と妙な感動を覚えました。
定期的に産道チェックにきてくださる看護師さんが
「すごく順調に子宮口が開いていますね。ほんとにびっくりするくらい順調!何かスポーツされてました?」
と感心したように私に聞いてきたので、
「スポーツはしていませんが、散歩が好きです!」
と少々得意げに答えました。
そうするとどんどんお腹と腰の痛みが酷くなり
「もうこれ、我慢できない…ちょっと早く出してしまいたい」
と思うように。
訪れた看護師さんに
「すみませんが、もう無理です」
と半泣きで伝えました。
すると看護師さんが子宮口をチェックし
「あぁ、もう開いているからお産に入りましょう」
と神のひとこと。
「いよいよか…」なんて感慨にひたる余裕もなく、心の中で
「早く出したい!」と叫ぶばかり。
このときも別の看護師さんが
「産道がすごくやわらかいけど、ヨガとか何かしてました?」
と聞いてくる。
「ヨガはしてないけど、散歩が好きです!」
と半ばやけくそで答える私。
いよいよお産の開始です。
見えてる赤ちゃんが出てこない!原因は…
分娩中、自分ではまったくどうなっているのかわからず、ただ看護師さんの誘導の元、必死にいきんでいた私。
「順調ですよ」
「もう少しですよ。ほんとに安産」
という看護師さんの言葉に励まされながら、無我夢中で頑張っていました。
しかし、どうも途中から雲行きが怪しい。
先生が
「尾てい骨に赤ちゃんの頭が引っ掛かっているなぁ」とポツリとつぶやくのです。
尾てい骨に赤ちゃんが引っ掛かることがある、なんて聞いたこともないので私は半ばパニック。
とりあえず、いきむしかないのかな?といきみ続けていると、先生がさらっと
「ちょっと尾てい骨を折って赤ちゃんを出そうか」なんて言いやがる…もとい、おっしゃるのです。
軽い口調で重いことを言われてますます私はパニック。
「尾てい骨を折るってどうやっておるの?」
「手でポキっと折るの?」
と、尾てい骨の折り方が気になって仕方ない。いきむことを忘れてしまい、看護師さんに
「しっかりして!」と叱られる始末。
そうこうしていると、お腹の上に尋常じゃない重みが。
なんと、私のお腹の上に、きっとその医院で最もふくよかであろう看護師さんがドスンと乗っているのです。
「まさか、体重の重みで折るの?」
とますますパニックになっていると、赤ちゃんの泣き声が。
続いて
「おめでとう、よく頑張りましたね」
と看護婦さんの祝福の言葉。
そう、いつの間にか私は女の子の赤ちゃんを出産していたのです。
「いつ尾てい骨折ったんですか…?」
と恐る恐る聞くと
「いえ、折らなくても大丈夫でしたよ」
と看護師さん。
赤ちゃんを産んだ喜びよりも、尾てい骨を折らなくて済んだ喜びの方が大きく、
「よかった…」
と涙ぐんだ私なのでした。
やっと赤ちゃんとご対面!と思いきや…
さて、無事赤ちゃんを出産し、いよいよ感動の対面…と思いきや、どうも様子が違う。
看護婦さんも医師も、なんだかバタバタとしており、一向に赤ちゃんに会わせてくれる気配がないのです。
だんだんと不安になり、看護婦さんに
「赤ちゃんは…?」
と聞いても
「ちょっと待ってくださいね」
としか答えてくれません。
そうこうするうちに私はストレッチャーに乗せられ、別室へと連れられていったのです。
なんでも出産後、子宮が収縮せず大量出血していた私。
私が別室へと運ばれている間、このままでは母体に危険が及ぶから…と主人と母に、子宮摘出と輸血の説明が行われていたようです。
看護師さんのマッサージを受け、下腹部に大量の保冷剤を乗せられ酷い寒気に震え、でも赤ちゃんに会えない…。
どれくらい不安な時間を過ごしたでしょうか。
「あぁ、出血が止まってきている」という看護師さんの安堵の声が聞こえたときには、疲れ果てて何も考えられない状態でした。
世界一美しい女の子
昼に無事出産した私が我が子に対面できたのは、夜も更けた頃でした。
幸い輸血や子宮摘出の処置を行う前に出血が止まったのですが、まだまだ絶対安静だった私は
赤ちゃんを抱っこすることはできず、寝ている私の側に赤ちゃんを寝かせてもらえただけ。
私の横で目を閉じている女の子の顔には無数の傷。
看護師さんの「赤ちゃんが引っ掛かって出てこない…」という言葉が頭の中でよみがえりました。
あぁ、この子もひとりで頑張っていたんだなぁ…。
そう思うと、赤ちゃんの顔についた無数の傷すらも愛おしく、傷だらけのこの子は、誰が何と言おうと世界一美しい女の子。
「可愛いですね」
と看護婦さんにひと言告げると、後の言葉が涙で続かなくなってしまいました。
しかし、入院生活は、まだまだ始まったばかり。
鉄分補給のために、コントで使われるようなブッとい注射を毎日射されたり
出産のときには「静かなお産」と褒められたのに、おっぱいマッサージで隣室の人が涙ぐむほど絶叫したり
夫が赤ちゃんのことを「出川に似てる」と言ってあわや離婚の危機になったり
研修医があまりに注射がヘタで、泣きながら「そこちゃうわ!」と怒鳴ったりしたのはまた別のお話。
色々あって私が我が子を自分の腕に抱くことができたのは、出産から実に2日後のことでした。
何が起こるかわからない…!
何が起こるかわからないからこそ、命の尊さ、赤ちゃんが産まれてくることの奇跡を実感した私の出産記。
「ひとつとして同じお産はない」という言葉は本当だったなぁ、としみじみと思い返します。
傷だらけだった赤ちゃんは、今は小学2年生。
もちろん顔の傷はすべて消えて、すっかり大きくなり、日々我が家に笑顔と幸せを運んでくれています。
担当ライター