広島ママの奮闘記。突然始まった娘の小学校登校しぶり…さてどうする?
大好きなお友だちとも同じクラスになれて、順風満帆に見えた娘の広島での小学校生活。しかし、ある日突然娘が「学校に行きたくない…」と泣きながら訴えてきました。母親として私が娘に伝えたことは…。
「行きたくない」のきっかけは、プールの授業でした
期待と不安を胸いっぱいに詰め込んで、大きなランドセルを背負ってスタートした娘の小学校生活。幼稚園時代から大の仲よしのお友だちとも一緒のクラスになれ、それ以外にもたくさんのお友だちができ、毎日顔を輝かせて登校する娘の後ろ姿に、ホッと胸をなでおろすとともに、またひとつ大きくなったな…と一抹の寂しさを覚える日々を送っていました。
周りのママ友の「毎朝娘が『行きたくない』と泣くから学校まで送っている」「校門が見えてくると、地面に接着剤でもついているかのように、足が前に進まなくなる」なんて話を聞くにつれ、「大変だなぁ…」と感じると同時に、「うちの子、案外たくましいのかな」なんて感じていました。そう、あの日までは。
例年よりも広島の街が暑く感じられた去年の7月頭のことです。娘がいつになく暗い顔をして帰ってきました。
「どうしたん?」と思わず声をかけると、はじかれたように声をあげて泣きだす娘。
「明日から学校に行きたくない。もう、学校へは行きたくない」を繰り返す姿に驚き、かける言葉も見つからず、ただ背中をさすってあげることしかできませんでした。
ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻した娘は、しゃくりあげながらも、行きたくない理由を教えてくれました。
「プールが怖くて怖くて仕方がないの」
娘の葛藤、親の葛藤
娘は極度の水恐怖症。幼稚園のときもプールとなると泣いて嫌がっていました。このままではいけない、とお風呂で水をかぶる練習をしたり、湯船に顔をつける練習をしたり、と色々試してはみたのですが、どうしても水への恐怖を拭い去ることができぬまま、小学校へと入学してしまいました。
「小学校にあがると、周りのみんなが頑張っている姿を見て、娘も奮起してくれるに違いない。頭から水をかぶることはできるようになったのだから」と呑気に構えていたのが大間違い。
あまりの冷たさに子どもたちから「地獄のシャワー」と呼ばれているプールに入る前のシャワー、今までに入ったことのない深さのプール、ふざけて乱暴に水をかけてくるクラスメート…すべてが娘にとっては初めて味わう恐怖。しかし娘なりに今までは「これはお勉強だから頑張らなければいけない」と思っていたらしいのです。
しかし、その恐怖が心の中でどんどん蓄積され、ついにキャパオーバーになってしまいました。
プールが発端ではありましたが、娘は学校に行く辛さを次々と私に訴えてきます。
「隣の席の男の子が気に入らないことがあるとすぐ叩く、気の強い女の子に名前をからかわれた、休み時間は教室でお絵かきしていたいのにみんなに合わせてお外に行かなければいけない…」
どれもこれも大人の私たちにしてみれば、とるに足らないこと。
「もうちょっと頑張ってみようよ」と声をかけるべく口を開いたその瞬間、娘は泣きながらこう訴えてきました。
「私もみんなみたいにプールが楽しみになりたい。お外で遊ぶのが大好きになりたい。叩かれたら『何よ!』って言えるようになりたい。でも、どうしても勇気がでない。なんで私はこんなにも勇気がないんだろう。なんで私はクラスで一番勇気がないんだろう」
そうです。娘は決して、「プールが嫌だから」学校に行きたくない、と言っているわけじゃなかったのです。勇気がない自分を恥じて、「頑張って学校へ行こう」という気持ちが折れてしまったのです。
その日を境に夜泣きが始まり、朝はランドセルを背負うと涙を流す…という日々。
「こんな思いをしてまで学校に行かせるべき?」と私も泣きそうになり、
「しんどかったら休んでいいけど…」と伝えました。しかし、娘の返答はいつも一緒。
目に涙をためて「頑張ってみる」と言うのです。
「楽しんでね」に込めた思い
思えば私は、娘が学校に行くとき、いつも「頑張ってね」と送りだしていました。もしかしたら、その言葉がプレッシャーになっていたのかもしれません。
一度心が折れてしまうと、元に戻すには時間がかかります。しかし、ここで学校を休ませると、ズルズルと休んでしまい、二度と学校に行けなくなるのではないのか…そんな不安もありました。
そこで、担任の先生に「娘がプールに対する恐怖心が酷いので、無理そうなら見学させてほしい。ずっと見学というわけにはいかないのは重々承知なので、しっかりと家で言い聞かせます」と伝えました。すると担任の先生からは、娘のできる範囲で構わない、とありがたい返答をいただき、その言葉通り、まずは足をつけることからじょじょにはじめてくださいました。
また、叩かれて言い返す勇気がないのなら先生に叩かれたことを報告しなさい、ということ、休み時間はあなたの好きなように過ごしていい、ということを伝えました。
「学校は、あなたを楽しませるためにあるわけじゃない。あなたが生きていくために必要なことを学ぶためにあるところだ。本当に心も身体もしんどいのなら休みなさい。でも、行けそうなら行きなさい」
そう伝えると、娘はだまってうなずいてくれました。
さらにこう提案してみました。
「これから毎日ゲームをしよう。学校でひとつ、なんでもいいから楽しかったこと、嬉しかったことを見つける。そして帰ってきたらお母さんに報告する。『よかった探しゲーム』をしてみよう」と。
娘は「わかった。それなら頑張れそう」と顔を輝かせてくれました。
その日から毎日お風呂でゲームの結果発表をすることが日課になったのです。
「今日あった一番嫌だったこと、一番嬉しかったことを教えて」
と私が言うと、娘はその日起こった嫌な出来事、嬉しかった出来事を話してくれます。
嫌な出来事に対しては、どうしてそんなことが起こったのかを検証し対策を考える。
嬉しかった出来事は、ふたりで喜び合う。
いつの間にか娘の登校しぶりはなりをひそめました。おそらくですが、娘は「学校は頑張らなければいけないところ」という考え方から「学校は自分で楽しくするところ」とシフトチェンジできたのかもしれません。
そして我が家の「いってらっしゃい」の挨拶は「学校、頑張ってね」から「学校、楽しんでね」に変わったのです。
いつでも娘の安全地帯でありたい
今、娘は小学2年生。相変わらず「嫌だったこと、嬉しかったこと」の報告は続いています。この報告を聞くことで、娘の不安や不満をいち早く察知できれば…と思っています。
もうすぐ学校のプールが始まる季節。それに合わせて広島市内の水泳個人教室を受講させることに決めました。娘が学校生活を有意義に過ごせるよう、親である私はいつでも「娘の安全地帯」でありたいと思うのです。
担当ライター