「ママにしてくれてありがとう」心から子どもに伝えられた日

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子どもを幸せにしてあげたい。でも、そのことだけに固執してしまうと、子育てが息苦しくなってしまう…。ママになった皆さん経験していることでしょう。今回はそんな息苦しさを感じていた私が、ふと心が軽くなった瞬間をお話させてください。

子育ては出口の見えないトンネル

子どもができてから、ずっと子ども優先の毎日を過ごしています。まぁ、当然のことですよね。結婚して10年、広島に来て7年目にしてようやく授かった待望の娘。とにかく可愛い格好をさせてあげたい、子どもが喜ぶところへ連れて行ってあげたい、離乳食は天然にこだわって…。何もかも子ども第一、自分二の次の毎日でした。

西に乳幼児を対象としたイベントがあると聞けば行き、東に幼児教室があると聞けば申込み…。それが当たり前だと思っていました。そんなある日、ふと「これっていつまで続くんだろう…」という疑問が頭をよぎりました。当時娘は1歳。幼稚園までまだまだ時間があります。明日も明後日もその次も、娘と遊んで、ご飯を作って、寝かしつけして、と同じことの繰り返し。そう思ったら出口の見えないトンネルに迷い込んだような気持ちになったのです。
娘のことを愛していながらも、娘が自分の時間を際限なく食べつくしていくモンスターのようにも思えました。そして、また自己嫌悪。

「こんなネガティブな気持ちになるなんて、私は母性が欠如しているんだ」、と。

そのとき、毎日のように通っていた公園までの道のり、途中にどんな家があり、どんな花が咲いていたかは覚えていませんが、道路の色は覚えています。水にぬれたような濃いグレーのアスファルトで舗装された歩道。私は、下ばかり向いて歩いていました。

「ママが笑いなさい」その言葉に救われた

娘が2歳になる直前、引っ越しました。そして新居の近くで未就園児対象の幼児教室が開催されていると聞いて、体験教室に参加したのです。そのときに、その教室の先生が言った一言にハッとしました。
「ママが楽しんでください。ママが笑ってください。ママが楽しくて笑っていれば、子どもは幸せなんです」。
それまで子どもの楽しいことと私の楽しいことは決してイコールではない、と感じていました。子どもが楽しいことに、ママは付き合ってあげなければいけない、という義務感

トンネルの出口が見当たらない理由がわかったような気がしました。その幼児教室は、なんとなく他の教室とは雰囲気が違いました。ベビーマッサージやリトミックなど、行う内容はさほど変わらないのですが、先生が人形劇にちょくちょく流行りのギャグを入れたり、BGMが流行りの曲だったり、大人が笑ってしまうような小ネタを仕込んでくるのです。
そしてギャグに大笑いするママの顔を最初は不思議そうに見ていた子どもたちが、つられて声をあげて笑う。先生と話して大笑いしていた私をじっと見つめていた娘も、私につられてニコニコの笑顔になりました。

その笑顔は、楽しそうで嬉しそうで、そして幸せそうでした。

子どもに伝えた「ありがとう」

その日はいつになく晴々した気分でした。気分がいいからちょっと歩こうか、と娘をベビーカーに乗せて、夕暮れ時の広島駅付近を散歩してみることにしました。
歩きながら周りを見渡してみました。

すれ違う老夫婦が、娘を見て歩みを止め「まぁ、可愛いねぇ」と目を細めてくれました。
ちょっと気の強そうな女子学生が、すれ違いざまに「やばい、めっちゃ可愛いんだけど」とほほ笑んで娘に手を振ってくれました。
コンビニの喫煙コーナーでタバコを吸っていたサラリーマンが、私たちの姿を見つけると、まだまだ吸えるタバコを灰皿でもみ消してくれました。
そのたびに、「ありがとうございます」と伝える私。

なんだかありがとう、だけでは伝えきれない感謝の気持ちがこみ上げてくるのを感じていました。ときおり振り向いて私を確認する娘。笑顔の私を見て、にっこりほほ笑む娘。散歩を終えた私はベビーカーから娘を抱きあげ、「ありがとう」と娘に伝えました。

「ありがとう、ありがとう。色んな人の優しさに気づかせてくれてありがとう。温かい気持ちにさせてくれてありがとう。私をママに選んでくれてありがとう。あなたが生まれてきた世界はこんなにも美しく、愛であふれているんだよ。」

夕焼けに照らされてキラキラと輝く娘は、その小さな両手で私の頬をはさんで、嬉しそうに笑いました。

子育ては「ここまでは」の連続

あの日から、劇的に何かが変わったか、というとそういうわけではありません。変わったとすれば、出かけるときも、イベントに参加するときも、「子どもが楽しめるところ」ではなく「子どもと私が楽しめるところ」を探すようになったこと。子どもに読み聞かせる絵本は、雑誌やネットで紹介されていた、という理由だけでなく、私が読んでみたいな、と興味をもったものを選ぶようになったこと。つまり、「子どもが楽しい毎日を」から「子どもと私が楽しい毎日を」に考え方をほんの少し軌道修正しただけです。

ときはたち、今、娘は7歳。小学1年生になりました。はっきりいって、まだまだ子育ては苦痛な瞬間もあります。投げ出したくなる日は何度もあります。きっとこれからも何度もあるでしょう。相変わらず出口の見えないトンネルをさまよっています。でも、出口の見えないトンネルにも、ところどころ区切りがある、ということがわかりました。
考えると私は、「ここまでは頑張ろう」の繰り返しで毎日過ごしているような気がします。

「土曜は主人が娘を見といてくれるから、土曜までは頑張ろう」
「後3時間したら娘が寝るから、後3時間頑張ろう」。
自分の中で「ここまでは」の区切りを見つけて、そこまで頑張ってみる。そこまで頑張ったら、また次の「ここまでは」の区切りを見つける。思えば、子育てに限らず、ずっと「ここまでは頑張ろう」で生きてきたのかもしれません。

そして、その「ここまでは頑張ろう」と思う気持ちのことを、人は「希望」と呼ぶのかもしれません。子どもを愛する気持ちと希望、このふたつがある限り、きっと私は笑顔です。

子育て中のすべてのママに乾杯!

子どもがいるママだからこその苦しみ、悩み、そして幸せ。それを実感する毎日。私なんかほんの序の口。もっと大変なママは世の中にたくさんいます。だからこそ声を大にして伝えたい
「世の中のすべての子育て中のママに乾杯!」

担当ライター

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